全国保育団体合同研究集会、という保育の勉強会にリモート参加していた。
群馬まで行くかと思っていたけど、遠すぎて断念して、リモートにした。
土曜日には、保育園で、先生も視聴されるそうなので、一緒に見てきた。
以前は大黒柱として一家を支えていた男性の賃金が低下し、女性も働きながら育児家事に追われる、という話はよく聞くけど、高齢者も労働をやめることができず、小さい子供が調子悪いときに看病してくれる、見守ってくれる、という役割が失われている、という話は初めて聞いた。
言われてみるとうちの実家の父も3月まで再雇用で働いていて、その契約も終わって、先日実家に帰ったら、ハローワークのパンフレットが置いてあった。
母は以前は何度かうちに子の面倒を見に来てくれたことがあったけど、最近は低血圧で倒れてしまって、そこから、家から出るのも気を使うようになっている。
そもそも、近所に住んでいないので、孫をとっさに見る、というフォーメーションではなくなっている。たまに会うくらいならいいけど、本当に同居してしまうと、考えが合わない点がだんだん判明して、軋轢が生まれると思う。
何十年か前なら、両親が働きに出ていたら、子は祖父母にお任せだったのかもしれない。今は、職場の近くに引っ越して保育所を利用するという選択肢が取られがちだと思う。家庭内に父母や義父、義母がいて考えが合わない、ということへの抵抗感が上がってきているような気がする。
発表されるのは先生だけでなくて、保護者として発表されている方もいる。
関わる園の人々みんなが保育の仲間、という感じで、キャンプや川遊びなどを開催されている。
自分たちはどうだろうと思うと、園のみな全員仲間なので全員で激しく遊ぶぞ、とはならず、仲の良い数世帯と遊ぶにとどまっている。
子どもたちとは適当におしゃべりしたり、頭が丸坊主になっている大人を見るのが珍しいのか、なんで毛髪がないの?と頻繁に質問されたり、この絵本読んでって持ってこられて読んであげたり、という関係はあるけど、いきなりそこからキャンプに誘ったりとか、そこまで深い関係は作れていない。
めちゃめちゃパブリックな、人類みな家族、みたいな視点の人間になるにはどうしたらいいだろう?と考えていた。
日曜日には、京都で保育相談員をされてる方の公演を見た。
何かするのを嫌だという子供には事情があって、禁止されるとやりたくなる。
テレビゲームの開発現場を見ると、大きなビルがあって、ものすごいお金や人が関わってゲームが開発されている。
それを、やめさせるときには、親が、そろそろやめときなさい、と一言、無料のおしゃべりをするくらいでやめられるわけがない。
おのずと自分の中で折り合いをつけるものなので、子どものうちにやらせていあげて、自分から卒業させてあげなければならない、という話があった。
普段から、個人的に、子供がアテンション・エコノミーに巻き込まれるのが嫌だなあ、とか、自分が未就学児のときにYouTubeがなくてよかった、あったら一生見ているので、とか思っていたけど、保育の勉強会でも同じことを話されている人がいておもしろかった。
その公演を聞いて、子に、やりたいことをやらせよう、と、昼ご飯に食べたいものを聞いて、好きに食べさせていたら、サラダにベビースターラーメンをかけて、ベビースターラーメンだけ食べて、ごちそうさまとか言っていた。
公演されてた方の本は注文しておいた。

