hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

子がポケモンのアニメを見たい見たいと言ってたので2023年からやってるアニメ版を1話から見ている。
夕飯の準備しながら流して音だけ聞いたり、車の後部座席でタブレットで流していて、やっぱり映像は見れてないけど、何らかの団体に加入して、学校は行かなくなって、団体のアプリでやり取りしながら冒険を繰り広げていそう。
子の説明では、ホゲータの口からモンスターボールが出てきて、それにホゲータが自ら入っていってゲットされた、というストーリーらしい。ウロボロスみたいで不気味すぎる。

ポケモンの名前って頑張って覚えて、一体何になるんだ…と思わなくはないけど、登場人物たちはポジティブに、ポケモンの研究をするぞ、と励んでいるし、子もポケモンの名前を覚えようとしている。視聴者と登場人物たちの渇望が一致していておもしろい。
保育園ではポケモンごっこが流行っていて、うちの子は1日中ニャオハをやっていて、ニャオハだニャオ、とか言わされている。
ポケモンごっこじゃなくてかるたをやりたいとか言ってるけど、毎日ポケモンの服を着ていってるのだから、そりゃ誘われるだろう…と思う。
ポケモンに詳しい友達(インフルにかかったときに鬼のようにポケモンを見てテレビ放送に追いついた)は、ポケモンを飼ってる人間をやってて、普通に喋っているらしい。
ポケモンの詳しさに応じてヒエラルキーができていて、ポケモンに詳しくなると普通に喋れるようになる、という構造。

劇の面白さ、それは舞台設定にある。
まず舞台が提示されて、その上で人物たちが活動する。
この舞台のうえでこの活動をするのはどう?という構造がある。
なので、舞台設定をおざなりにしてはならない。

舞台設定が薄いものとしては、漫才というのがあって、漫才では基本的に会話だけで物事を進めていき、話者たちがどこでどういう状況で話しているかはおざなりにされている。
〇〇ってありますね、と話題に出すことで対象を選んでいく。対象を批評するという形。
これがあるものとしては、ショートコントで、これは舞台設定あり。これは演者がその世界の人物になる。

劇としては舞台設定ができたら、もうあとはどうとでもおもしろくできるはず。
舞台設定が「保護者たちが卒園式に向けて会議している」だったら、そこを作ったうえで、会議と離れる変なことをしたら、それだけでおもしろい。
そこをサボって、保護者たちの会話、だけになってしまうと、リアリティがなくなり、そこからどうなったらおもしろいか、という、ワクワク感もなくなってしまう。
小道具として打ち合わせ机を置いておくだけでも、そこで会議しているうちに自然と忍者としての修行が始まったらおもしろい、ということになるし、コピー用紙とペンでも置いておいて、忍者走りの方法についてメモしてたらおもしろい、ということになる。


この話はシャノンの情報理論を使って説明できる。
メリーポピンズがおもしろいのは、ある程度現実レベルの高い家庭に、傘を開いて空中からおばさんがふってくるところ。予測可能な世界に対して、突然、予測不能なことが起きる、というのは、確率の低い出来事で、情報量が大きく、驚きにつながる。
最初からドラゴンとかが飛び回っていたら、そこに空中からおばさんが降ってきても、なんの違和感もない。最初から予測不可能な状態にあっては、何が起きても珍しい出来事とは感じられず、情報量が小さく、驚きも生まれない。



解説
卒園式の劇のセリフを覚えるということをせず、今の劇がなぜおもしろくないのか分析していたら、このような考えに至ったのだけど、卒園式は今週土曜日であり、もうどうすることもできない、という日記。

近所の神社の祭りにあわせて、御神燈いかがですか?というチラシが入っていた。
御神燈の売り込みかたには興味があって、なぜなら、物理的には意味のない、心の世界の出来事なので、明るくて便利、とかにはならないだろう、という予想があった。
「玄関先に掲げていただくことで貴家の気品と気概を示し祭礼・神輿との一体感と活気を示すものです」と書かれていた。
服は、暑さや寒さから身を守るだけでなく、周りから自分がどう見られたいかというステータスやシンボルなのだ、という話をどこかで見たのを思い出して、おお、やっぱり、玄関先の提灯もそういうものなんだな、とうれしくなった。

普段仕事してると無駄やムラを省こうと動いているけど、そのフレームで見ると、御神燈はまっさきに排除されることになる。
でも物理的に意味ないものにお金を払うことってけっこうあって、お祓いとか、七五三とか、占いとか、観光とか、写真のプリントとか、車のワックスとか、飲み会とか。
そういう物理的には無意味なものを大切にする文化が京都には根付いている。
これがタワマンになると、高いほうが偉い、という合理的な話になり、どちらが位置エネルギーを蓄えて暮らしているか、という数字の勝負になる。

演出をさがして 映画の勉強会

演技することについて、これまで全然関心がなかったけど、卒園式で劇をやることになり、いまのところそんなにやる気がないまま翌週に本番を迎えてしまい、花粉症で体調も悪くて、なんでこんなことに関わってしまったんだろう、やらなきゃよかった…とネガティブになっているところだった。手なりでできるものとしては演奏があるけど、演奏って始まってしまえば終わる。劇は自分たちで進めないといけないのがジョギングを始めるみたいな感じでつらい。


この本は映画を撮ってる人たちが映画を見てディスカッションしたり、自作の撮影時の演出について教えてくれる本。
トニー・スコット監督が取りあげられていて、トップガンの監督で、娯楽作品であり、あまり作家性とか感じられないような気はしていたのだけど、言われてみるとこういう性質はあるな、ということがあって、アンストッパブルとか見返していた。
本では、演出について話しているので、この表情がいい、ではなくて、この表情を撮影するためにはどんな準備がったんだろうか、という議論になっているのがおもしろい。
ドライブ・マイ・カーと、ケイコ 目を澄ませてでの演出の実践も書かれていて、こういうことをやったらこういうように演技しやすくなる、とか。
思えば、台詞が全部書かれているので、覚えなければ…とか、事前に決めたこのセリフがあんまり…とかで、めんどくささが増していて、アジェンダだけ書かれていて、自由に喋ってよければやる気になるような気がする。

耳鼻科に行って、日中眠くて、平衡感覚がなくなって、生活がうまくいかず困る、みたいなことを伝えたところ、先日処方したばかりなので同じ系統の薬は保険を使って出せないんですという説明を受けた。
補助的な薬は処方して、メインの薬は市販の薬局で買ってください、ということになった。
去年はなんともなかったんですか?とか聞かれて、たぶん去年もフラフラだったけど今年のほうがフラフラだと仕事にならない、ということなのだろうと思う。
先週からずっと病院通いになっていてつらい。

夜に保育園で用事があったけど体調が悪すぎてたどり着けなかった。
花粉のアレルギーなのか、花粉症の薬が強すぎるのか区別がつかない。
年度末はだいたい不調になっていて、保護者会の会議などもだいたい出られていない。
年始は張り切って参加するけどだんだん下がっていっている。

思えば小学校くらいのときから、年度末は習い事とか行けなくなっていたような気もする。
プールに行きたくなさすぎて、嘔吐したら行かなくていいかと思い、頑張ってトイレで吐こうとしてた。
最後の方だんだんすべてがどうでも良くなって行かなくなる、という感覚がある。
その後、学年が変わったりしてスーパーリセットされる、そういう終末感。