hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

最近やってみた良いハッキングとか、試みたこととか、思ったことを、すぐにブログを書けなくなった理由について話していた。
一人のソフトウェア開発者としてやっているとして、開発していて、困ったことがあれば、人間VS問題で、問題はソフトウェアが抱える本質に複雑な問題という、世界に唯一存在する課題ということになる。
それが、マネージャ的な動きをしているという形になると、困っていることの性質が変わってしまう。
マネージャがメンバーの扱いについて困っているとして、「最近の若者はこれだから困る」みたいなことを書いていたら、本人とコミュニケーションしましょうよ、と思うし、ちょっとデリカシーがなさすぎる。
メンバーが何かに困っているとして、「こんなことで困っている人がいました」とか書くのもデリカシーがなくて、「こんなことで困っている人がいました。私の若いときには苦しんでC言語を覚えたもので、最初のPCは自作PCでした」みたいな、私はそこでは困っていないんですけどね、というマウンティング記事になっていく。
マネージャとして扱っている事業そのものについての困りごとをいきなり書き下してインターネットに公開していたらそれもちょっと怖い。昔たまに通っていたバーでは、常連が集まるLINEがあるからと招待されて入ってみたら、店主が「今日は雨。来客も0人でした。このままでは借金を返せません」みたいなメッセージを常連たちに発信するグループになっていて、すぐに抜けたし、そのバーも潰れた。マネージャはマネージする者であるから、問題がなんとかなったらいいと思うけど、なんとかする場として適切な場と不適切な場がある。

技術に関する悩みって、該当事業の問題と直接関係していることもあれば、関係していないこともあり、関係ないディテールについての話題は業務上の秘密と関わる可能性が低く、また、みんな遭遇するものがある、という、アウトプットするのに適した特異な話題なんだろうと思う。

この本が気になる。変な本の予感がしている。

www.filmart.co.jp

最近の言説って、だいたい、AIについて論じて、その後、この言説はAIを使ってこのように作られました、という再帰的な構造になっている。
AIで作る意味がないものについてもAIで作っているのではないかとも思い、この感じはおそらく数年くらい経てば収束するのだろうけど、今しか読めない変さがある。
いま、ぐにゃぐにゃのウィル・スミスが手づかみでパスタを食べる動画とか、ディープドリームで生成された絵を見ると、こんなのあったね…と思うと思う。
その懐かしさを得るためにも、今出版されている書物を読んで、こんな感じのが流行っていたね…と言えるようにしておくことは、将来、懐古厨になるためには有用。

手ぬぐいにシルクスクリーンで印刷したくて、練習も兼ねて大阪のJAMに行ってみた。
家庭で組み立てて使えるシルクスクリーンのキットを取り扱っていて、店舗でお絵かきしたらその場でスキャンして製版して、その場で印刷までできる。
手ぬぐいを作ったりTシャツを作ったりノートを作ったりして、4〜5時間くらい遊んで帰ってきた。
他のお客さんも集中して黙々と物を作っていて、みんな集中していて良い環境だった。
手ぬぐいシルクスクリーン、に関して言えば、大きな版を作るのが大変そうで、何度かに分けて刷ることになりそう。
何に使いたいかと言うと地蔵盆に来てくれた人に手ぬぐいを配りたくて、業者発注だと費用が合わないので手作業で作るか?となっている。
人件費は無視するとして、インク代まで加味すると良いお値段になるのではないか?と予想している。

jam-p.com

近所の布屋さんに行って、手ぬぐいの長いのってありますか?と聞いたら、さらしが出てきた。
さらしが出てくると思っていなかったけど手ぬぐいの長いのが存在して、出してもらえたのが嬉しくて、概念の対応関係だけで会話が成立している。
カレー屋に行って、もっとシャバシャバのありますか?と聞いたらスープカレーが出てくる、というような感じ。

トイ・ストーリー5を見に行く前に、トイ・ストーリーを1から順に見よう、と言いつつ、まったく見れていなくて、5を劇場に見に行ける確率は極めて低くなっている。
個人的には、1は見たことある、2は部分的に記憶あり(ウッディの価値が高まっているという回)、3はあるかも(リサイクルされる)、4はわからない(3と4を混同している可能性もあり)、という感じ。
京都駅のイオンまで行けば、スクリーンが壁までつながった全く新しい上映体験があるらしくて、そこにたどり着きたいのだけど、そこにたどり着くまでには2時間の映画4つで、8時間分のプラクティスが必要。

あんまり詳しくない概念について、AIに依頼して、なんらかのまとめ資料を作ってもらう。
それを、複数人で見ながらツッコミを入れる。
依頼者も読者としてツッコミを入れていく。
資料を訂正する過程で共通の理解を得ていく。

という手法で、よくわからないところを勉強していた。
Deep Researchはどうか?というと、基本的に依頼者が一人で読むものであるとか、結果が正しいことを願って読むものである、という前提がある。
この手法では、あくまでたたき台であって、読者から質問や感想、ここ間違ってるんじゃない?ここはこうだと思ってんだけど…を引き出せればよい。資料をきっかけに改めて調べ直してもいい。

人間が作った資料のレビューなら、どんどんツッコミを入れていくと、作った人がしゅんとしてしまうことがある(ゼミに変な資料を持ち込んだ学生をイメージしてみてほしい)けど、AIがよくわからないなりに探し回って作ってくれたものなら、ツッコミを入れても心が傷まない。
AIがやったものをそのまま人に見せる、というのは、無責任の証でもあるけど、見方を変えると、中に人間が入っていないということは、どんなにツッコミを入れても良い、という、車に乗っけて、次に車を壁に衝突させて、車内が安全かどうか確かめるための人形のようなものだとも考えることができる。

先日、人間1→AI→人間2だと、真偽不明な怪情報を他人に浴びせているのでダメ、と書いていたけど、人間1→AI→人間1,2というパターンがあると思ってメモ。
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