hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

AIを使って作文をしていても全然完成しない。

ちょっとした言い回しの調整とか、文の順番の入れ替えなどを指示して、別のことをやって、数時間後に、そういえばあれはどうなったかな、と見に行ったら期待通りになっていなくて、また指示して、、ということを延々とやっていることがある。

プログラムを書かせている時にはこんなことはなくて、まあこんなもんでいいだろう、と終わりが早い段階で来る。

だいたい、最初のお願いで期待通りになるし、違う形になっていても、1回やり取りしたらしっくりくる。

この違いは何かと考えると、動きが決定的なものか、そうでないものか、ということがありそう。

プログラムは書かれた通りにしか動かないし、解釈のブレのようなものがない。テストも一緒に書いてもらったら、CIが通っているなら、こう動く、ということも分かる。

一方で、文章は、いかようにも解釈できるし、単一の実行環境があるのではなくて人間が解釈するので、60億か70億かの実行環境がある。

ということで、終わりどきがわからない、ということがあるような気がする。

 

Claude Codeの応答が遅いという話もありそうで、じっくり考えたり既存のコードを探し回ったりしてから、注意深く書いてくれるので、依頼して、じっと待つというのが耐えられない。間にウクレレでも弾いてたら待てそうだけど、その間に別の依頼を始めてしまう。

そして別のことをして戻ってきたら、これまでに費やした時間のことを忘れている。

 

行ったり来たりが激しくて、今日は打ち合わせ中に、数分ちょっと待ってくださいと言われて、Meetのタブを閉じて、別のことに没頭していて、そうこうするうちに用事が終わったので戻ってきてください、と言われ、そういえば打ち合わせを中断してたのを完全に忘れていた。

会話セッションを切り替えたら前の会話が出てくる、というのに慣れすぎて、人間向けに何かを覚えておく能力を捨て去っていて、気が抜けると全てを忘れていると思う。

AIを使って加速するのはいいけど、通知を受ける時の気の散り方は変わらず、画面にポップアップが出るので、人間の状態としてはだんだん注意力が散漫になっていそう。

ポップアップをオフにして、急ぎでないなら、打ち合わせが終わったタイミングでそっと教えてくれるような何かがあると良さそう。

急に駐車が上手くなってきた。

家の駐車場に車を入れるとき、これまでは斜めの位置にスタンバイして、2〜3回切り替えしながら入れてたのだけど、斜の位置の目安を掴みづらくて、ポーチにタイヤをぶつけそうな心配もあった。

人に駐車方法を説明するのも難しいような、曖昧な状態。

 

ある日気づいたのが、出発するときには切り返し無しで出られているのだから、同じことをやったらいいということで、道と水平に停車した状態で、ここまで進んで、いっぱいに切ってバックしていけば1回で駐車できる。

狭い道で、道の中で右や左に寄っているという誤差はあまりないようなので、どこまで進むかだけが重要。

今は雰囲気でやってるけど、この辺まで進めばいい、という加減を見つけるのを短期的な目標にしている。

 

こうやって管理の変数を1つ減らせたのは嬉しい。

探索し続ければいい指標に辿り着けることもある、ということを諦めないで試行錯誤したい。

駐車が楽になるような銀の弾丸はおそらくないが、駐車を楽にしたいという気持ちは諦めない、という、最終的に訪れる怠惰な暮らしを諦めない気持ちが大事だと思う。

NHKの100分で名著でシュルレアリスム宣言をやってたので配信で1日1話ずつくらい見ていた。
こういうのを読んでいて大学時代を無為に過ごしたというか、こういう書物を恵文社で物色していた瞬間の記憶が結構長い。
機関車と競争する男の小説とかをがんばって読んでいた。

100年前のムーブメントだけど、現代も全く同じことをやっていると思う。
AIの応答のおかしさを楽しむ、とか、画像の出来栄えの変さを評する、みたいなときには、シュルレアリスム的にこれはどうだろう?とい見方で見ていると思う。
感動度合いで見るというよりは、変さが重要。個人的にはAIと感動って一切繋がりがなく、全く期待していない。

いろんな価値観ともつながっていたり、つながっていなかったりして、完璧を求めず壊れ感を楽しむ、というのが侘び寂びにもつながるし、自分たちが持てるリソースは壊れたこれだけ、というの冷笑にもつながる。
つながらないのは、意識高いとか、ライフハックとか、自己研鑽系。プレジデントとかで、傘とミシンの組み合わせがヤバい!とかやっているイメージはあまりない(こうやってプレジデントとシュルレアリスムをぶつけることがシュルレアリスム的な価値観)。

子どもの紙や文房具で家中が埋め尽くされているので、引き出しを買いに、二条駅近くの無印に行った。
誰かから、ここの無印は世界最大の大きさと聞いていたけど、夢だったのか、全然そんなことはなかった。
魅力的なのが、アイススタンドがあることで、店舗内にカフェ的なものが併設されている。
子の気力が下がってきたらアイスを食べよう、と励ますことで買い物成功したような感じがする。
あとは、ビーズクッションでゴロゴロしたり、ペンの試し書きコーナーで最強のペンを探したりした。

引っ越す前の前の住まいでは、ここは通勤路で、下のコープでネギとか買っていたのだけど、その上に無印があるのってイマイチ信じられない。
ここに無印があったら、自炊をやめて毎日日替わりカレー生活が始まると思う。あるいは、栗の炊き込みご飯とか、毎日違うものを買って帰ってレビューするブログを始めていたと思う。

ちょっと悲しいのは、キッズ服の取り扱いがなくないこと。
アイスを併設してキッズを取り込む動きと、キッズ服の取り扱いをなくす動きがある。3階は仏壇屋さんで、子供服を売るスペースはないけど仏壇を売るスペースはフロア1面確保されている。
実感を持って、生まれる人より死ぬ人の方が多いんだなというのを体感できる。

村上春樹の短編が図書館にあるので、行くたびに1冊ずつ借りている。こういう小さい本って電子書籍では小ささを感じ取るのが難しくて、一方、物理的な本なら、こんなに小さいなら借りて読んでみよう、となる。


パン屋を襲う
他者と違う基準で判断する、という、不条理さ半分、いけすかなさ半分くらいで、ここでしか読めない雰囲気が出ている。
前半では音楽を聞く代わりに無償でパンをくれる社会主義的なパン屋が出てきて、後半では会計処理を気にして、バーガーじゃなくてお金を持っていったら?という、資本主義の極致のバーガーショップが出てくる。


ふしぎな図書館
佐々木マキの挿絵が盛り沢山でかわいい。すごく変で、よくわからないけど連載していたのがまとまったのだろうか?
デウス・エクス・マキナ的な物語だともいえるし、鶴の恩返し的なものにも見えるけど、解釈をじっくり考えなくても、変な話だったなあ、で終われるのが良い。
本を返す前に保育園に寄ったら、クラスの子から、これ読んで〜とか言われて、読んであげてたけど、なんで?なんで?と言われて、説明不能だった。
小説って書かれてしまったら読者としては読んで受け入れるしか無い。期待されていることは、どう解釈、咀嚼するか、ということだけ。
これが、エッセイだったら、私の考えは違います、とか返信という形で感想を書くことができるのがなんかおもしろい。

Village Cooking Channel、子どもが好きなのでよく見ているのだけど、食材を叫ぶときのカットの背景のボケが良すぎて、牛乳!とか叫ぶカットが入るたびに、すごい…と目を奪われる。
youtu.be
アイスちゅうちゅう吸ってる回は、調理が進む過程でカチカチに凍らされて出てくるのが意外な感じがしてよかった。
火は焚き火だけど、アイスが凍らされる瞬間は映像には現れない。そして、それを、8K画質の機材で撮影している。

8K画質で配信してるので、ぜひ画質設定を切り替えて、じっくり見てもらいたい。どこで止めてもただならぬ良い瞬間になっている。

ICE POPS | Natural Fruit Popsicles | Healthy Homemade Ice Pops Making in Village | Ice Cream Recipe

たぶんNetflixのタコスの番組とかもこんな雰囲気の映像だったと思ったけど、Netflixは解約してしまった。
そのことで、普段目にする映像コンテンツのなかで、Village Cooking Channelが、一番画質が良い映像になっている。