hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

どれくらい分かり合っておくべきなのか

技術検証とかやるときに、夢のおもしろ新技術の練習をしていると、おもしろさ、夢っぽさゆえに、導入しましょう!!となる力が働いてしまう。現在レガシー寄りの構成で、モダンな技術を試すときとかは、成功を願ってしまう。
移行先で今の苦しみが解消されているかは要確認で、技術スタックの問題ではなくて、ビジネスロジックの複雑さが現れているだけだったら、複雑さがそのままスライドして再構築されるだけだったりする。
というときに、粗探しをする前提の人を任命しておくと良いかもしれない。粗探しをするつもりでなくても、関係者が同質的すぎるときは一歩引いてバランスが取れているか確認する必要がある。


ちょっと別の話で、チームメンバーとどれくらい信じているものが同じことを期待するかという話題があって、

  • 似たような人が集まっていると話は早い
    • 合意形成が楽
    • 結論が偏る恐れがある
  • いろんな人がいると意見の偏りを防げる
    • 合意形成は毎回ディベートで決着をつけることになる
    • 結論は一般的なところに落ち着く

という構造のときに、人々のマインドが似すぎていると、ちょっと似すぎていて危ないなと思ったりする。あるいは、チーム内の声の大きい人のパワーによって特定の主張が出すぎていると、そこまで信じていることを同期するのはデメリットもありそう、と思ったり。
例えば、僕は人々の様子を見るのが好きで、時間があったらPull Requestを全部見て回ったりしているけど、全員にそれを求めるのかと言うと、人によって得意で有益な時間の使い方があるはずで、自分のプラクティスと一般的なプラクティスは切り離す必要がある。
あまり人の考えを広めすぎてもデメリットがあるし、一方で、毎回、何が正しいかは哲学バトルで決着をつけよう、となると、何をするにも時間がかかって、疲れそうだなと思ったりもしている。
というときに、信じて疑わない、ここまでは合意だよね、ということがあるとよさそう。
なぜここに集まって一緒に活動してるんだっけ、というと、世界中の情報を整理するため、とか、人類全員に日記を書かせるため、とか、何かしらのレベルで合意があるはず。しかしミッションステートメントがあっても、良いものでないと使いづらいよなと思ったり。How Google Worksで一番好きな部分は以下の部分。

お客様、よし!従業員、よし!株主、よし!このミッションステートメントはリーマン・ブラザーズのものだった――少なくとも二〇〇八年に倒産するまでは。もちろんリーマンにも何らかの信念はあったのだろうが、この文章から読み取ることはできない。

How Google Works


身近な役に立たないビジョンの例としては、我が家の家訓は「連帯保証人にならない」で、こんな家訓が存在するのは信じがたいけど、実家を出るときに僕は祖父から聞いて、父も若い頃に聞いたそうなのでやっぱりこれが家訓なのだと思う。これまで生きていて、家訓に沿った判断や思考ができたことは一度もない。
自分の財産を守る、利己的な姿勢を貫く、不要なリスクは負わない、という解釈をしていて、個人的には欲しい人がいるならあげたらいいじゃん、と思っているので、ギャップがある状態。けど、ギャップがあることを認識できるという点では何かしら定まっていると、定まってないよりはよいのかもしれない。