hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

ファイナンシャルプランを作ったらただちにそれでお金が増えていくわけではなく、何が良いかと言うと、予算と実績を比べられるということがある。
時間の使い方についても同様で、1時間ジョギングしたいと思ってジョギングしないのと、何も思わずジョギングしないのは、前者のほうが、ジョギングしたいのにジョギングできてないんだからポテチを食べるのはやめようみたいに演繹することができる。
また、ベストを尽くしたか度という度合いがあって、今日一日ベストを尽くしたけど見渡す限りジョギングする時間は存在しない、ということが確認できていたら、今のやり方ではジョギングするのは不可能という結論になれる。
何も思っていないときには今の状態に比べてジョギングすることは可能かどうか?という判断軸がない。ベストかどうかという以前に、何が良い状態なんですか?というところが未定義であれば、良いも悪いもない。
また、ベストを尽くしたと思っているときに、他者からベストでないという評価をもらうと、冷水をぶっかけられたような気分になり、睡眠を削れと言ってますか?とか、子の世話を放棄しろと言うんですね?みたいな一触触発なコミュニケーションに発展してしまう可能性がある。

ベストではないという結果ではなくて、過程についての指摘があるべきで、電動自転車を人力自転車に代えてそれで運動することはできませんか?とか、家事をやるときに鉄下駄を履いてはどうでしょうか、とか、そういう会話がまずあるべき。
そういった過程に関する会話を省いて結論だけ取り扱って論じる人との会話には実りはなく、喧嘩になるだけだと思われる。
過程は次回取り組むときに調整することができるが、結果を調整することはできない。
結果にコメントするなら誰でもできるし子どもでもできる。

うちの子は21時過ぎてからプリン食べたいなとか言うけど、それが結果だけ論じるということで、過程についてコメントするなら、寝る前の2時間におやつ食べちゃダメなんだからプリンを食べるなら19時までですね、というコメントになり、そうやって条件を明示すれば、明日はルールを覚えていたら、19時にプリンを食べることができる。
一方、21時にプリン食べちゃダメ、という姿勢は本人の中のルールから他人に逆算させているということで、意思疎通が成功するかどうかは相手の能力次第だし、そもそもそんなめんどくさいコミュニケーションに乗ってくれるのか?という問題もあり、コミュニケーションの立場を全うしていないと言える。