hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

朝から地蔵盆の打ち合わせがあって、午後からKYOTOGRAPHIEを何箇所か巡った。

写真の展示を見るとき、ステートメントを読んでから写真を見て、ふむふむ、という感じで、写真たちを通じて伝えたいメッセージがあるわけだけど、今のカメラって映像も撮れるわけで、映像とせず写真にするのはなぜ?とか、文章をだらだら書いてブログにしないのはなぜ?とか考えていた。
写真は、記録の幅がすごくて、全然見たまま記録してない、ということがあるけど、映像になると、音がくっついてくる。写真に対する、作家の作り混み具合、たとえば、ピンボケ写真とか、画角がおかしい、といったときの情報の欠け方と比べると、音の場合は臨場感が強くて、思った通りのイメージの音を作家が作る、ということは、やりにくそう。
火のついた棒でお互いしばきあう祭りの映像が流れていて、映像は幻想的なのだけど、音は、日本各地の方々が怒鳴り合ってる、というリアルなものだった。
インスタ映え画像には、とくにメッセージがなくて、写りがよければいいねがつく、というものだけど、最近のインスタ映像には、本編と関係のない、泡沫のぽこぽこいう音がついている、というのを見た。これは音を映え状態に作り込んでいる、ということだと思った。
意味のないぽこぽこ音を加えることで表現したい方向に持っていく、みたいな編集作業ができるのだったら、世の中には写真展というものがあるのだから、フィールドレコーディングが並んで展示されていて、収集した音を通じて作者が社会に問いたいことを発表する、という「音展」があってもいいんじゃないかと思った。