バグってるものを作っても,致命的でない限りはどうにかなるけど,ださいものを作ってしまうと,取り返しがつかない,と思った.
ださいのは仕様ですかって聞いたら,ださいかどうかは知らないけど仕様ではないって返ってきそう.
これを作ったときに考えたことが悪い,と言ってるようなものなので,そういうものを作るような人には容易に直せない気もする.
機能が悪いとか,コンピュータを通してこういうことをするのは気持ち悪い,とか,機能はいいけど使ってると不安になる,とかいろんなレベルがある.
機能としては同じだけど,どういうおもてなしをするかで,できるものが全然ちがう.
使ったときの感じが変だと,機能が便利でも,普通には使えなくて,使ったときの感じが変でおもしろいから使おうという人しか使わない.
おいしいけど料理が全部甘い喫茶店があるとすると,おもしろがって行く人しか行かないと思う.
機能があってればなんでもいいから使う,というツールもあるとは思うけど,あんまりいいのない.
たとえば,携帯用動画変換ツールとか,けっこう雑だけどみんな使ってるのがある.あれはもっと使いやすくできると思う.
論理的にはあってるけど,情緒力がたりない,みたいな話を思い出した.
普通に話してるだけで支離滅裂なことを言う人は居ないから,論理的に話すというのは当然で,どこから論理を始めるかが重要,それは情緒力によって決まる,みたいな話だった気がする.
甘いものを食べるとほっとするから全部の料理を甘くしている,とか,論理的には正しい,ということはいくらでも言える.
論理的にはこっちだけど,情緒的にはこっち,というので決めればだんだん情緒的になって,いいものができる気がした.
論理的に作ると情緒が失われてださいものができる.
二人くらいで作ってるときは,同じくらいの気持ちになっていれば,素早くいいものが作れる印象がある.
だいたい同じ方向を向いてて,同じ気持ちだと,片方がちょっとずれたときに,ずれてないですかって言って,たしかにって言って軌道修正できる.
どっちがいいか,という話をしてたら大体だめな気がする.
前に四人でちょっと作ってたときは共通のイメージを持てなくて話し合いとかしていて大変だった.
相手が日本人じゃなくてもこういう方法が使えるのか気になってる.
日本人なので,村っぽい方法で作っていくほうが向いてそう.