車検の時期だった。
帰りに気づいたのが、自分は歯医者に行かないのに車は車検に出している。
自分の身体より車を大事にしているという形だと思ったけど、車検は取ってないと法律違反になるのに対して歯医者は行かなくても罰則がないというだけで、歯より車を大切にしているわけではない。
歯医者に行かずに食事するのは法律違反ということになれば歯医者に行けそう。
歯医者に行かない理由としては、次の予約をまた電話で取りますと行ってから4年ほど経過している、ということや、診察券が行方不明、といったことが抵抗感になっている。
ほかに経過観察で通ってた病院もあったはずだけど、当日にインフルエンザにかかっていて、また電話しますといってキャンセルしたらそれっきりになっている。
また電話します、だと続かないので、また電話してください、と言って帰ればよさそう。
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古いレンズを買った。1950年から60年代に作られていたもの。
ちょうど紅葉の季節なので撮ってみると、めちゃくちゃファンシー。個人的に、レンズを探すときの価値観が、ファンシーかどうか、という一点に集中している。ピントの合ってない部分がぐるぐるしているところにファンシーさがある。逆に、ピントの合っている箇所はスマホのカメラでも撮れるので、関心がない。


ただし近くのものにはピントが合わず、食卓の写真を撮ると、死後、草葉の陰から見守るときの距離感くらいに離れないとうまくいかない。高級なアダプタを買うとアダプタ自体が可動になっていてもっと寄れるらしい。

古いレンズを使うことは人類の叡智に触れるということで、現代まで残っている、よくできたものに自分で触れて見られるというのがおもしろい。ピラミッドは1個しかないけどレンズはたくさん製造されているので使ってみることができる。
70年前に製造されたものを現代の電化製品とくっつけて使えるのも変な話で、インターフェイスの大事さ、ということだと思う。カメラとレンズが直接依存するのではなくて、マウントの型はどれになっていますか?というやりとりで完結するので、このレンズのマウントからEマウントに変換するアダプタを買ってくることで、くっつけて使うことができる。
Mマウントのレンズ(どれもパソコンが買えるくらいの価格)じゃなくてL39マウントというさらに古いもの(iPadが買えるくらいの価格)で、それで古さゆえにレンズも価格が低いということになっている。
インターフェイスを定めるとインターフェイス自体が古びていく、ということでもある。家に転がっているフロッピーディスクをバザーに出しても買う人はいないけど、DVD-Rなら買う人がいるかもしれない。

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国宝をいまさら見た。
- ワークライフバランスがテーマの映画として見た。よくある、仕事全振り、から更に進むと、まわりの人間の権利を侵害していく、というマイナス状態になる。
- 家をつぐ、世間に説明する、など、体裁がすべて。家って概念で存在しないものなのに、大事にしている。人間国宝も概念
- 既存の権威に認められて舞台に復帰するのも嫌すぎる
- 同じ演目を何度も繰り返す、その過程で登場人物の関係性が変わっていく、という構造はおもしろいと思う
- 同時に、同じことを何度もやっていて嫌すぎと思う
- 探している風景についに出会う、というのも安直でつらい
それを上回る映像の美しさがある、とか、そこまでして芸術に打ち込む悪魔的な営みなんです、それを描いている、という見方もありそうだけど、描かれている行為が嫌すぎで、リベラルな人にとっては苦手な感じの映画だと思う。
よかったところは音。着物がしゅるしゅるいう音だけを拾っている。現実の鑑賞ではありえない音量で布擦れの音を聞くことができる。
歌舞伎の笛や太鼓の音があるなかで、そこに別の音楽を堂々と被せてるのも良かった。歌舞伎を舞台としてみせるつもりはなくてかっこいいオブジェや素材として扱っていると思う。
ただかっこいいだけで内容は苦手なことには変わりない。撮影に使った舞台もいいし、演技も良い。でも内容が嫌すぎ。ワークライフバランス版ゾンビが出てくる、ワークライフスプラッター映画として見ると、そういうものかな?とい気もしてくる。ゾンビ映画も、腸のシズル感は良いけど、内容はあんまり好ましくない、というものが多い。
京都出町のエスノグラフィ
京都の本ってよくあるけど、京都の中でも特定の地域についてこんなにたっぷり書かれた本ってあまり見ない。
エスノグラフィとタイトルにあるように、応仁の乱の歴史、みたいなものではなくて、現在生きてる人たちの声が収録されている。
商店街のミセノマを軸に、物件を相続してゲットする人もいれば、間借りで始める人もいて、という、街との関わりについて解説してくれる。言われてみるとたしかに小さくて変な店がちょこちょこあったり、路上で野菜を売ってる人がいたりする。
2010年くらいに来たときにはシャッターがもっと閉まっていたような記憶があったり、その後訪れたらすっかり鯖とアニメ推しになっていたりと、イメージ変わったな…と、ただ受け入れていたけど、この人たちにはこんなことがあって今こうなってるんだな、ということがわかるとおもしろい。
かつて大型スーパーの出展反対運動があり、補助金を得て広場を改修した、という話は当然知らない話だけど、かつて今出川にあった伝説の喫茶店、とかは、最近WiFiができたみたい、という知人のブログ記事を2008年くらいに見かけた記憶がある。その後全焼していて、Googleマップでみたら普通の一戸建てになっていた。そういう、半分知ってて半分知らないような距離感で読めるのがおもしろい。
たこ焼き屋さんの証言で、左京区が一番盛り上がってたのは10年前です、みたいな話も書かれていて、言われてみると最近はおとなしいような気もする。
左京区というと、たしかに、めちゃくちゃなものをよしとするカルチャーをイメージするものの、京大の立て看板のイメージに引きずられすぎているような気もして、一部の人が張り切っているのをおもしろがっている、という側面が強いかもしれない。左京区民の大半がめちゃくちゃなものをよしとしているわけではなさそう。
整ったデザイン、とか、プロによるデザインとは距離があり、市民がふにゃふにゃ書いた絵をよしとしているような印象。学園祭では、焼きそば300円みたいなポップを手書きしたりするけど、暮らし自体が学園祭みたいなイメージ。けっしてクオリティが低いと言っているわけではなくて、デザインが全市民に行き渡っているということだと思う。
中央のオフィスで作った印刷物を全国で掲示する、という、大規模な資本が流入していなくて、個人経営の店が多い、ということかもしれない。
スタッフエンジニアの道
この本では、自分たちの立ち位置や、周りのチームとの関係、向かっていきたい場所、よくわかっていない未知の場所など、地図のメタファーでまとめてチームに共有しましょう、としている。
ゆくゆくテックリードをやってほしい人向けには、このチームの課題は何?とか聞いているけど、そういったものを作るうえで、地図でやってみよう、とかワークショップでやってみるのは良さそう。
次に何をやるべきか?というときにも、地図が頭に入っていれば、地図によるとそれは大きな問題なので、チャンスがあったらうまく周りのメンバーを巻き込んで進めよう、とか、その課題は見つけただけで、話してはいるけど、べつにやらなくてもいいんじゃない?とか意見することができる。
社内用語で「金脈」という言葉があって、小さい労力でコストを削減とか、売上をアップできる可能性がある部分、ということ。
以前、Redashでおもしろがって「金脈ファインダー」というクエリを作ったら、それがいつのまにかチームの仕事に組み込まれていた。
ある日、金脈ファインダーが動かないんですが…と呼ばれて、たしかに最近のRedashの設定変更で、金脈ファインダーが止まっていますね、とかそんな話をしていた。
この本では「トレジャーマップ」という地図がでてきて、真っ先に思い出したのが、金脈ファインダーだった。けど意味は違っていて、ビジネス的に一発当てるためのビジョンということ。
エンジニアリングマネージャは人に関与するけど、スタッフエンジニアはやらないのか?という目線も得たくて読んでいたのだけと、そんなことはなくて、1on1をやったり各種アドバイスしたり。直接仕事はしないけど技術的なリーダーシップを取るなど。
ただし、求められてないのにアドバイスはしない。アドバイスせずに黙っているというのも難しくて、黙っていて、その後失敗し、そうなってから、「実はあの時こう言おうと思っていたんですが…」となると、先に言ってよ、となる。
ガードレールとして、失敗しないための動きをすばやくやってあげるのがよい。
また、口を出さずにいても、我慢できなくなり、ある日言いたくなってしまう、自分でやりたくなってしまう、みたいなことも社内ではたまに見る。しびれをきらさない胆力が重要と思う。
しかしメンバーの成功が自分の成功でもあるので、やってもらいつつも、直接はこちらから手を出さず、最後には成功する、ということが求められる。
うちの会社でスタッフエンジニアとして振る舞えるか?というと、複数チームで課題になっていることを見出して企画する、みたいなことができるなら価値がありそう。
1チーム内での機能開発という目線で見ると、どうしても今の延長になってしまうし、そこから、隣のチームも巻き込んで、ここをこう変えるぞ、みたいなパワーはなかなか出せないと思う。
たとえばサーバー、アプリの両方の暮らしを見ていて、あっちでもこっちでもこれが問題になっているな、みたいな情報を得られるように慣れば、価値を発揮できるチャンスがありそう。
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すっかり紅葉の季節で鴨川沿いがいい感じになっている。
川での過ごし方にも初級から上級まである。
初級としては、川をぶらぶら歩き、ベンチに座る、というのがある。これは簡単。
中級くらいになると、落ち葉の上にダイレクトに座る。これは座れる場所のチョイスや、湿り気のチェックなどが必要。
上級になると、スタンドのついてない自転車を地面に転がし、自身は川べりに座る、というのがある。後ろから突き飛ばされると転落する場所に座ることで、川をダイレクトに感じられるし、落差工の前に座ることで滝のようなサウンドを体感できる。こういうことをしている人はだいたい自転車にスタンドが付いていない。スタンドって重たいだけだし、要らないよね、そして川は川べりに限る、という、ギリギリって感じの人生をおくっているのだと思う。
落差工とは?これを設けておくと勾配がゆるやかになり、川底が削れていくのを防げるらしい。鮎の遡上を邪魔することでニュースになっていた。どうでもいいけど、鮎の遡上を助けている方が立ち上げた団体が「天然アユを食べる夢を叶える会」なのがおもしろい。助けたいのか食べたいのかどちらなのか?助けて食べたい、という、両方なのか?
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