近所の神社の祭りにあわせて、御神燈いかがですか?というチラシが入っていた。
御神燈の売り込みかたには興味があって、なぜなら、物理的には意味のない、心の世界の出来事なので、明るくて便利、とかにはならないだろう、という予想があった。
「玄関先に掲げていただくことで貴家の気品と気概を示し祭礼・神輿との一体感と活気を示すものです」と書かれていた。
服は、暑さや寒さから身を守るだけでなく、周りから自分がどう見られたいかというステータスやシンボルなのだ、という話をどこかで見たのを思い出して、おお、やっぱり、玄関先の提灯もそういうものなんだな、とうれしくなった。
普段仕事してると無駄やムラを省こうと動いているけど、そのフレームで見ると、御神燈はまっさきに排除されることになる。
でも物理的に意味ないものにお金を払うことってけっこうあって、お祓いとか、七五三とか、占いとか、観光とか、写真のプリントとか、車のワックスとか、飲み会とか。
そういう物理的には無意味なものを大切にする文化が京都には根付いている。
これがタワマンになると、高いほうが偉い、という合理的な話になり、どちらが位置エネルギーを蓄えて暮らしているか、という数字の勝負になる。