hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

全国的な保育の勉強会、合研が兵庫で開催されているので参加した。過去2回ほどオンラインで聴講していたもの。過去には高知でオンライン開催だったり、去年は群馬でさすがに遠すぎる、という感じだったけど、兵庫開催なのでついに参加できた。
神戸の島の、ワールド記念ホールというところまで向かったら、錆びた銅の饅頭みたいな建物でかっこよかった。
規模的にはARASHIが解散コンサートをやりそうな規模のホールで、普段は何に使っているかよくわからない。そこに、一階と二階にぎっしり人がいて、ステージで講演があり、余ったスペースで物販があり、という感じで、物販ブースの存在はリモートからは感じ取ることができていなかったので、カメラの反対側はこうなっていたんだ…というのがおもしろかった。

聞いた話では、給食をあまり食べてくれない子とのやりとりの話がおもしろかった。その園では子どもたちが自由に給食室に出入りしていて、低いカウンターがあるので子どもたちが世間話したりするそう。
そこでは食べてくれない子に向けて、その子が食べてくれそうなおかずを用意したり、麻婆茄子ではなく肉味噌だけにして食べてみたりと、子どもたちに合わせた試行錯誤をしている。
ある日、チャーハンを山盛り食べたもらおうとしたら、好きなおかずがない、だけどおかずは食べたい、という話になり、いろいろ話した結果、チャーハンの具だけを拾っておかずのお皿に乗せておかずとみなす、という話で、納得してもらえた、とのこと。
この話がすごく良いな、と思った。

どうやれば本人に納得してもらえるか、だけが重要で、合理性、とか、客観性、とか、論理性、みたいなものがない。
一人ずつちがう謎ルールや謎解釈のなかで、これならしっくりくる、というものを探し当てるという形。

合理性があるか謎ルールかは人によってさまざまだけど、大人と関わるときも、本人が求めることは何かを探し当てる、というのは同じ。
謎ルール度合いが極端だとチャーハンの具を拾うことになるけど、多かれ少なかれ、というだけ。
そこで、この組織のルールがこうなので、とか、慣習に従って、とせずに、何を求めていますか?を探していく、という姿勢。
これは非暴力コミュニケーションにつながると思う。決めつけるのではなくて、相手の考えていることを代弁して、自分の言葉で表現して、理解できたどうかを確かめていく。

もう一つ思ったのは、提案の幅のことで、長い時間一緒に過ごした人なら、この人が受け入れる提案はたぶんここからここ、みたいな幅がわかっている。
新たに出会った人なら、その加減がわからなくて、「じゃあこういう案はどうですか?」とか言ったときに、その方の何らかの尺度を超えていて、お金がかかりすぎる、時間がかかりすぎ、アバンギャルドすぎ、非常識、など、それは案として成立していない、みたいな反応が返ってくる。
その幅を獲得するまでは、人は非常識な人として振る舞い、だんだん軌道修正して、常識を得ていく。これは常識というよりは、相手に合わせた顔色伺い、とか、これは黙っとこう、これは言うと喜ばれそう、みたいなだけで、常識と言うのかよくわからない。知識かもしれない。
子どもたちが求めることを探るときには、提案の幅を自分の幅ではなくて、相手の幅に合わせてあげられるといいんだな、と思った。
保育園のお泊り保育で、夕飯なにがいいか、というときに、スシロー!という子が居たそう。スシローには行けないが、手巻き寿司をみんなでやりましょう、ということにしてもらった。スシロー行くわけ無いでしょ、で却下してたら手巻き寿司にはなっていなかったと思う。
相手の幅に合わせよう、というのは、相手は子どもに限らずで、職場で相手が非常識な提案や欲求を求めてきたときに、自分の尺度で判断せず、相手の尺度ではその案はどれくらいの位置にある案なんだろう?と、背景をすりあわせていけるといいんだろうな、と思った。


合研には保育園の先生方もぞろぞろ参加されていて、終わってから焼き鳥食べに行ったのだけど、そこで、今日はチャーハンの話がよかったです、という話を先生方にしたら、ひじきの煮物からコーンだけ拾ってあげる、みたいな要望はよくあるそうで、あるある〜という感じの反応だった。
5年間通っているけど保育のことは何も分かっていないと思う。