hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

ビルの駐車場から、車が出るとき、「車が出ます。ご注意ください。」と自動でアナウンスが流れる。
これに、憤りを感じる。

歩行者が注意しなくても済むよう気をつけて車を出すのは、運転手の責任。
泥酔した大学生が道に寝ていても踏んではいけないし、車の裏に子どもがへばりついてたら、それに気づいてエンジンをかけない、というのも運転手の責任。
人命に関わる行為をしておきながら、機械のアナウンスを流して、それで身軽になった、と感じさせるようなデザインはあまり好きではない。

また、これだけ海外から訪れる人物が多いなか、日本語を聞き取れる前提のデザインになっているのも気に入らない。
アラーム音が鳴って、パトランプが光る、みたいなデザインのほうがカバーできる人間の範囲が広くて、好き。
これなら、運転手の責任を軽くしてやろう、という意図は入らないし、言語を問わず、注目をひきつけられる。

近年の回転寿司では、もうすぐ、注文した剣先イカが来ます、みたいなデジタルサイネージが設置されている。
そんな感じで、もうすぐ69年式フォード・マスタングが出庫します、みたいな予告動画が流れると、そういうことなら、ちょっと足を止めて見に行こうか、みたいに、楽しい居場所になりそう。
運転手にとっても、カメラで中継されているなら、駐車場のポールにこすらず、かっこよく出ていこう、という意識が向上するはず。

オフィス近くに看板の出てない、ただの家にしか見えないラーメン屋があって、いつ行ってもスッと座れて、リノベした町家を眺められるのも好き。
他の店舗では、行列になっていることが多いけど、こっちはそうでもない。
なのだけど、今日は大人気スポットになっていた。
入口と出口が分かれていて、一方通行で奥から出ていけるのだけど、初めて来られる方が多いのか、そのシステムも通じてないようで、導線がごちゃごちゃになっていた。

そこまでは人が増えてる、という話で、もうひとつの観点は、ラーメンの具が別皿に盛られている、ということ。
最初に見たら、変なの、ということと、料理として作りかけなんじゃないの、とか思ったけど、そうめんの具は別皿になっているし、微妙なメニューの違いで盛り方に対する違和感が出てくるのはおもしろい。
食べてみると、チャーシューはもっと温かいほうが好き、などと考えると、提供された時点で、やっぱりスープの上にざーっと盛って温度を上げていくのがいいような気がする。
この感覚は、つけ麺の麺が別皿に出てくるものの、食べてるうちにスープが冷めてしまって嫌だ、という感覚と出どころは同じで、つけ麺をよしとするなら、ラーメンの具が別盛りになっているのは望ましいことだけど、つけ麺が苦手なら、ラーメンがつけ麺化していて、同じく苦手な方向、ということではないかと思う。
上級者になっていくと、温度やテクスチャにメリハリがあるほうが人生に幅が出て良いのです、とか言いそう。
この料理を自分で作るならどこがうれしい?ということを考えると、液体と麺の上に盛り付けしなくていいため、配置を微調整してかっこよく盛る、ということが可能となっていそう。また、具を乗せる時間と麺を茹でる時間を並列化できるので、麺ができたぞ、という瞬間から、食べ始めるまでの時間を短縮できるのではないか。そのかわりに、皿を洗う枚数が倍になっているけど、皿は事前に洗っておける。
皿については、以前はずっしりとした焼き物だったのが、金属の器になっていた。おしゃれだけど、冷めるスピードが早くなっているような気がする。古き良きラーメン屋では、丼が煮られていて、ラーメン屋で仕事すると、熱々の丼をつかむ訓練から始まる、という印象がある。そういう点では労働環境が健全化しているのかもしれない。

運動会の写真は、いらない画像を消して、整理して、共有した。ちらほら感謝の声をもらえてうれしい。
大昔の、学校などの催事の写真は、壁一面にばーっと貼り出されて、何番をください、みたいな買い方(この販売方式は、もうやってないと思う)だったけど、ああいう形で、全員の写真を撮って、売る、というのが人力での頑張りで担保されていて、すごいシステムだ、と今更思う。
重要な場面に必ず居ないといけないし、変な場所で足止めをくって撮り逃すと、同じシーンには出会えない。
議事録を、録音じゃなくて、速記に頼ろう、という考えが近そう。
でも、誰かに託しているから他の人は安心できる、というもので、AIが仕事をしてくれる時代が到来したら、人間は実務からは離れていて、AIの出力結果の責任を取るだけの仕事になっていくような気がする。

日本の歴史 貴族のさかえ

近所の古本屋で見つけた。
紫式部の絵本があるよ、とか言って、寝る前に子に読み聞かせしたら、眠い〜ってゴロゴロ転がっていって一瞬で寝てくれた。
名字が3種類くらいしかなく、同じで、名前の構成要素の漢字も似たようなものなので、ストーリーとしては理解できるけど、名前を覚えてられないと思う。

大河ドラマを見るたびに思うのが、顔が真っ白、歯が真っ黒になってないのが変に思う。羅生門を見返したい。

保育園のクラスの方がうちに遊びに来ていて、朝から片付けた。
子のおもちゃ置き場が魔窟で、ジグソーパズルが一面にばらまかれていて、足を踏み入れるとジグソーパズルがぺたぺた足にひっついて最悪。
三十数年生きてきて、大半の嫌なことは体験済みだと思っていたけど、ジグソーパズルが足の裏一面に張り付くのは、新しい体験。
あまりに嫌で、掃除機で吸おうかと思った。
さらに嫌なのが、子のおもちゃ置き場はスキップフロアの下半分みたいな感じで、高さが1メートルくらいしかない。しゃがんでもぞもぞ歩くと、足の裏にジグソーパズルがぺたぺたひっついていく。
そういう狭い空間なので、大人が介入して片付けていくときのストレスも大きい。
ここで遊んでいるのが想定外で、外におもちゃを持って出て遊んでもらいたかった。そういうデザインの失敗もある。

朝から家族が神戸でハロプロイベントに行くというので、ついていって、僕は一人サウナに行った。
毎回思うけど、大きなサウナに行っても、どこに何があるか、勝手に慣れてないので、落ち着かない。
近所の銭湯に行っていれば、それでいいな、と思う。
ハロプロイベントはシングルの発売イベントで、商業施設のパブリックなスペースでやってるので、開始時間にサウナから戻って上から眺めていた。
有料スペースに入ろうと思ったら、9時に家を出て、11時に整理券をゲットして、14時から開始なのだけど、イベント自体は20分か30分くらいで終わって、あとは、おしゃべりしたり見送ったりしている。
移動時間や待ち時間と比較すると、イベント本編はサクッと終わっているな、と思うけど、これに東京から来てる人もいるんだから、人の求心力ってすごいな、と思う。
人に会う、以外で、こんなに出かけることって、胃のポリープを取る名医のもとに通って処置してもらう、くらいだと思う。