コンビニでコーヒーを買うと、機械がコーヒーを淹れてくれて、「おいしいコーヒーが出来上がりました」って表示されたりする。
そのたびに、これは絶対におかしい!!と思って、なぜなら、おいしいかどうかは顧客が決めることであって、コーヒーマシンが決めることではない、と感じる。
その直後に、このように、文言を一言一句読んで、この文章は文面通りに読み取るとおかしい、みたいなことを考えているのもおかしいな、と思って嫌な気持ちになる。
ここまでが1セットで、これをコーヒーを1杯ずつ買うたびに毎回思っている。
もうひとつ思ったのは、今日、保育園を見学に行ったら、水槽に「ガラスを叩くと、魚はどう感じるかな?」みたいなことが書いてあって、これも文面通りに読んで、経験主義的なアプローチを適用すると、とりあえずガラスをバシバシ叩いて魚の様子を見ることになりそうだな、と思った。
そういうことを思うたびに、人としての心が欠けているな、と思う。
追記
あとは、ATMでお金をおろしたときに、京都では、舞妓はん…みたいな感じのはんなりした声で「いつもおおきに…」って挨拶してくれる。これも変なことで、安全にお金をおろせて、お礼を言う方はこっちなので、こちらからも、おおきに…って返事している。
コーヒーと魚の話だけだと異常な性格の人物、みたいな感じで終わりそうなので、人間らしいエピソードも追記しておいた。
追記
もうちょっと考えると、客にお茶を出すときの振る舞いと真逆になっているのがカルチャー的にギャップのある状態になってそう。
粗茶ですが…って客人にお茶を差し出す文化を尊重していくと、コーヒーマシンに「最低のコーヒーが出来上がりました」って表示することになる
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2021年10月4日