裁量労働制のときに、極度の集中が必要な難しいことを成し遂げられると、よくこれができた、今日はもう大活躍ということで終わりにしよう、今から打ち上げです、と達成感があったものだった。
フレックス制だと、あらかじめ決められた時間以上は働くことが求められていて、単位時間辺りの給料は変化しないのだし、あまりに難しいことをしすぎるとヘトヘトになってもう働けなくなってしまって、今日働けなくなった分の補填をどこかでやらないと…みたいな感覚が生まれる。
なんとなく似たものだと捉えられているけど、どういう動きをしたときにどう感じるか、というお得感のルールが違ってきている。
攻殻機動隊を見てると、少佐が戦車のフタをあけようとしてバラバラになっているけど、今日はバラバラになるまでがんばった!すごい!感動!となるのが裁量労働制で、感動はしたけど、バラバラになってた間はあなた何もしてないよね、月末までにその分長く働いて取り返してください、となるのがフレックス制。
働く時間に注目するのは、あらかじめ決められた動作を繰り返すような仕事の給料計算にはマッチするけど、考え事をするような仕事の計算には合わないのでは?と思ってしまう。
そもそも時間って相対的なものだし、人類が光速に近づいていったら、時間の管理を諦めざるを得ないのでは?早くそういう時代が来てほしい。
フレックス制だと1日8時間働くことが求められていて、勤務中に限りなく光速に近い速度で移動してから打刻する場合にどちらの時刻を使うべきなのか、勤怠システムが動いてるサーバーをかついで高速移動した場合はどうするのか、みたいなことが気になってきている
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2022年7月6日