なんか見て,うっと思って,そっと閉じるとする.
その情報が嫌いなわけではないのだけど,閉じる.
その情報が嫌いなわけではなくて,関わりかたを考えたいということで,今はそのときではなかった,ということ.
明日元気になったら,また見たくなるかもしれない.
たとえば本を読むことを考えると,視界に本が飛んできてダメージを受けることはそうそうないけど,テレビならある.ベランダから忍びこんで,殺害して,翌日また忍びこんでバラバラにして,包丁は別の場所に捨てて,とか,こんなこと書きたくもないのだけど,テレビを見てるとそういう情報が2秒くらいのスパンで流れてくるのでつらい.
視界にジオシティーズが飛んでくることはそうそうないけど,最近のウェブサービスのプッシュ通知なら飛び出してきたり,全面に広告があふれてきたりする.
テクノロジーの発達によって,情報を提供する側が,張り切りすぎて,元気になりすぎていることがあるかもしれない.
提供側からすると,うっとおしすぎるのでやめましょう,という判断をするロジックを作りにくくて,情報を提供する側の立場としては,見られれば見られるほどうれしいし,見る側とすれば,このようなすばらしい情報を見落してしまうと人生がつまらなくなってしまうことでしょう,という話もできる.
実際には,そのようなすばらしい情報と似たような他のすばらしい情報もたくさんあるので,全員ががんばると誰も得しない状況になる.マンションに日々つっこまれる,新築マンションのお手紙を見ると,そうなることが分かる.
そのような状況にあることをふまえて,これは見る,ここは見ない,みたいに選んでいくことが大事だと思う.
発信する側としても,受け取る側の全員がこの情報に興味があるにちがいない,という気持ちは捨てて,控えめにしないといけない.この日記に関して言うと,ふだんは,誰も読んでないと思って書いている.ここまで読んだ人は2人くらいしかいないと思う.