hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

枝毛

毎日剃らずに居られるのは楽だ!と、ひげを切らずに居たら、どんどん伸びてきて、気づいたら、枝毛を探す日々が始まっている。
枝毛が空いたらひっぱって抜く。
それを一日中やっていて、気が散って仕方がない。
左手でずっと枝毛を探していたら親指の皮が枝毛に負けてめくれてきてしまった。
完全に伸ばしているわけではなくて、口より上の部位はこないだ切った。
というのも、食事してると口にどんどん入ってきて、食べ物の食感化ひげの食感か判別がつかなくなってしまっていたのである。
と考えると、あごの伸び切った部位も切ると枝毛を探す手間が省けて便利なのだろうと思う。
しかし程よい長さに整える仕事が始まってしまうと、毎日ひげを剃らなくて済んで楽、という良さは失われてしまう。

会社に置いてる本を参照できないのが不便

  • これまでは業務に役立ちそうな本は会社で買ってもらってオフィスに置いていた
  • 東京・京都それぞれ1冊ずつ置いてもらっているので、出社している限りは、この本の何ページを見てください、という話ができていた
  • 今はみんな家にいるので同じ本を参照できない
  • 本を各自に買ってもらうことを考えると各自の家がだんだん狭くなるので、許容できない感じがする
    • 我が家の本棚はすでに限界に達していて前後2段になっていて奥の本にはアクセスできない…
  • 電子書籍を各自に買ってもらう、なら場所を取らないのでよさそう

本はみんなで読んで良い、というのが良いポイントで、電子書籍を1人1ファイル買う状態と比較するとなかなか太っ腹だと思う。

家の米がうますぎることの弊害

家の炊飯器を高級炊飯器にしてしまい、その流れで、ふるさと納税でもらったつや姫を食べたりしている。
米への思い入れが高まっているので、炊けたらただちに食べるし。炊けたら炊飯器のもとに小走りで向かっていき、十字に切ってふわっと混ぜて、しゃもじで一口食べて、最高の米だ!!!となっている。
そのような暮らしをしていると、外食なんかで普通の米を食べると、家の米のほうがうまいな、となってしまう。
米を食べてるということはおかずがあるはずで、そのおかずも、家の米とセットで食べたほうがうまいことだろう、という推論が進んで、食事全体の総合的な体験が下がってしまう。