hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

アドバイスを求める相手というと、家族とかパートナーみたいな、対等なこともあるけど、上司や先輩、チームリーダーなど、目上?の人が多い気がする。
その相手が、なぜリーダーになっているかというと、突っ走って成功しているから、だったり、なぜ先輩なのかというとその年齢まで生き延びているから、だったりと、リーダーになる前に脱落した者や、先輩の年齢になる前にこの世を去った者たちがいるはず。
そういう生き延びた人たちにアドバイスを求めると、「そういう場合は、強気でバーンと行けばなんとかなったよ」とか、「そういう場合は自分の場合は、腕力でねじ伏せたらなんとかなりました」とか、生き延びた結果のアドバイスが出てきがちで、それを後輩とか、チームメンバーとかに真似してもらおうとすると、なかなか難しいものがあるかもしれない。


アドバイスの生存者バイアス、というとよく聞くけど、アラートを上げるかどうかと、問題に思うかどうかも、バイアスがかかっていることがありそうだな、と思った。
会社で働いているとして、役職ついてないメンバーが「こんな長時間働くのは嫌です」、みたいなことを言おうとしたときに、レポートラインの上司たちは、より過酷なデスマーチやハードワーク、炎上を乗り越えていたりして、相談先の者たちはなんとも思っていない、とか、今まさに上司の方が過酷な勤務体制になっているけど、上司としては、それが普通だと思っている、みたいなことがあるかもしれない。


若者たちの悩みを聞いたりしていると、若者から、ソフトウェア開発が難しいんですって相談が出てきたり、すごく考えないと解けないような課題に遭遇していて、こんなに難しいはずはないんです、みたいな相談を受けたりして、こちらのお返事としては、ソフトウェア開発は難しいんです、という返答になる。
若者としてはアラートを上げるべき異常事態だと思っていても、僕としてはそういう事態はよくあると思っていて、異常だとは思わない、とか。
そういう認識のズレがあると、そのうち、先輩に相談してもまともに取り合ってもらえない、となって、相談を持ちかけてもらえなくなる。
どんな相談を持っていっても、「うんうん、ソフトウェア開発には普遍的な難しさがあるよね〜」みたいな返事しかなかったら、頼ったり、相談を持っていったりする意味があまりなくなっていく。