ヒップホップをやっている人たち、新作はshit、リリースすることをdropと呼んでるのがかっこいいと思う。
shitはかっこいいものとしてみなされていて、shitはdropするものである、というのが一つめにある。
二つめは、新作は生理現象として作っていくものだし、これからも、死ぬまで作り続けます、という意気込みを感じる。
三つめとしては、日本語的な文化圏で考えるとものすごい卑下のようにも聞こえる。大草原の小さな家、の小さな家部分と同じジャンル。大草原は1つめのかっこいいshitで、小さな家はへりくだりshit。
そう考えると、shitを欠かさずすくって展示することは生まれ持った行動ではなくて、shitの常設展示に至るまでには1ステップ動機が必要になりそう。
私はブログに5000shit、GitHubに200shitくらい展示しています、ということになるけど、なぜこんなことをしているかというと、書いておけば後で見返せる、とか、皆が考えたことを共有すれば助け合えて人類が豊かになる、とか、何かしらのもう一段回上の、どういう社会の到来を願っているか、という動機が必要そう。
人はなぜ協力するのか?と言ったときに、動物は宗教を信じない、存在しないものの存在を信じて協力できるのはホモサピエンスの能力だから、みたいな。
そんな便利なshitだけど、こういう文脈を共有しないまま、他人の著作物に対して「良いshitだね!」とか言うと無礼になるので気をつける必要がある。その際にはこのブログを紹介して、shitにはこんなに良い効果があるんです、という説明をしていきたい。
アウトプットっていうとなんか崇高なモノっぽく見えるのでハードルを下げたいし、とにかく考えていることを教えて欲しい
— Takafumi ONAKA (@onk) March 16, 2021
「アウトプットする」というと高尚に聞こえる問題の対処として、「shitをdropする」と呼んでハードルを下げていく
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2021年3月16日