NHKの100分で名著でシュルレアリスム宣言をやってたので配信で1日1話ずつくらい見ていた。
こういうのを読んでいて大学時代を無為に過ごしたというか、こういう書物を恵文社で物色していた瞬間の記憶が結構長い。
機関車と競争する男の小説とかをがんばって読んでいた。
100年前のムーブメントだけど、現代も全く同じことをやっていると思う。
AIの応答のおかしさを楽しむ、とか、画像の出来栄えの変さを評する、みたいなときには、シュルレアリスム的にこれはどうだろう?とい見方で見ていると思う。
感動度合いで見るというよりは、変さが重要。個人的にはAIと感動って一切繋がりがなく、全く期待していない。
いろんな価値観ともつながっていたり、つながっていなかったりして、完璧を求めず壊れ感を楽しむ、というのが侘び寂びにもつながるし、自分たちが持てるリソースは壊れたこれだけ、というの冷笑にもつながる。
つながらないのは、意識高いとか、ライフハックとか、自己研鑽系。プレジデントとかで、傘とミシンの組み合わせがヤバい!とかやっているイメージはあまりない(こうやってプレジデントとシュルレアリスムをぶつけることがシュルレアリスム的な価値観)。