NHKで放送されていた千家十職のドキュメンタリーを見ていた。
うつわをつくる様子が何度か出てくるけど、丸めた土をひっぱるだけでうつわにしている。
そこに不完全な美がある、とのこと。
完全なものを作ろうとして不完全になる魅力、というものと、最初から完全になりようのないものの魅力の違いがあると思う。
ヘタウマなものってうまいところもあれば、下手なところもある。しかし下手にしようと思ってやっているのではなくにじみ出てくる下手さが良い、というところがあると思う。
土をこねてただうつわにしている場合は、うまくやろうともしていないというか、完璧なものができようのない作り方をしている。
下手さの絶妙さを意図して上手く下手に作っているということで、そういう場合にも侘びがあると認めて良いんだっけ?というのが論点としてあるんじゃないかと思う。
説明として「完璧を求めているわけではない」というのが、うまく話をごまかしているように感じて、良さの説明について、「これではない」と言って説明した気になっているのは不誠実な立場なのではないか。
途中で、ヨーロッパの古城に住む画商が、庭のなかに茶室を作った、という話が出てきたけど、これは侘びすぎでしょ…と空振りしている感じがした。最初から苔がむしてるようなものであったり、壁が破れたままだったり、清潔感の一切ない空間は侘びの文脈とはなられているのではないか。ヴィンテージ加工のジーンズはダサいという価値観。
グリッチした画像やグリッチエフェクトの良さというのがあるけどあくまでエフェクトであって全体としては用を成すくらいのグリッチを見かける。これは侘びがないとされる。
自然発生もののグリッチしたJPEG画像にこそ侘びがあり。そこには完全を求める思想はなくて、偶発咳な破損から得られる、他の手段では得られない気持ちを得られる。
または、JavaScriptが宇宙線の影響を受けて1文字変わってしまって動かなくなってしまう。用をなさなくなってしまうけど、その動かなくなる様子には侘びがあるし、展示するに足りるおもしろさがある。
もし、楽家の方々が、我々は完璧な画像を求めていないんです、と言ってツールを使って画像を次々と壊していたら、どうだろうか。
こんなのが毎週放送されるって内容が濃すぎる、と思ったらそんなことはなくて1回きりのようだった。毎週やってほしい。
先日図書館に行ったらお茶の教科書がシリーズ化されていて第40冊くらいまで刊行が続いていた。そんなイメージ。