家を作るときに大事にしたことがあって、手作業を残す、ということ。
車とか買おうと思ったら、顧客が板金に参加して、鉄板をプレスしたり、内装のフェイクレザーの裁縫に参加したり、というのは考えられない。
一方、家の建築では、内装段階になると、顧客がいきなり介入して製作に参加できる。物体の製造に顧客が参加できる要素が残っているのは、近年では珍しい。見渡す限り、大半のものは完成品が売られている。
ペンキを自分たちで塗った結果、はみ出したり、気泡が残ってたりするんだけど、自分たちで製作に関わったものである、ということのほうが価値が大きい。
この指摘はなにかの本で読んだのだけど、どこに書いてあったか忘れた。
また、自分たちでやると、もともと施工精度が悪いので、剥がれたところにペンキをちょっと塗ったりして補修もしやすい。
先日、インフィニティチェア壁に思い切りぶつけてペンキが剥がれたけど、筆でちょっと塗ったら元通りになった。
リフォーム工事後に、ここに小キズがあります、やりなおし、という硬直した、顧客、業者、という関係ではなくて、住む場所というのはその場で手作りしているのだから、工場で作っている製品のような、キズが一つでも入ったら売れないものではなくて、一つずつ違うものであるし、顧客も製造に参加したほうがおもしろい、という考えを広めていきたい。
それでいうと、完成品のマンションを買うにしても、自分たちで何かやってみるポイントがあるといいと思う。トイレの壁はボードのままになってて入居時に漆喰を塗る儀式がある、とか。
日曜大工、とか、家庭内で使うものは自分たちで作りたい、といった、天然生活とかチルチンびとみたいな世界観が好き。
ペルーでは、建物が完成すると税金が高くなるので、未完成のまま置いてあるらしい。日本ではすべての建物が完成しているけど、未完成のまま住んでいるとか、改造可能な箇所が残ってるとか、そうなると、発想の自由さが増えて良いと思う。ここの壁どうしようかな?って普通は考えないけど、考えられる環境が良いと思う。
ペルーなどでは、壁や屋根から鉄筋が何本も飛び出し、まわりにも瓦礫が積まれたままという住宅を見かける。未完成だと固定資産税が安くなるからだ。
ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか