hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

保育園の出席簿には、今日はプールに入れますか?という◯か☓をつける欄がある。
木曜日、子の咳が止まらなかったので、出席簿のプール出席できますか?は☓にしておいた。
登園したときは大雨だったし、まあ今日はプールはないだろう、という考え。
だけど、だんだん雨がやんでしまって、あっこれならプールあるかもしれない、うちの子だけプールに入れない、という展開になるとめちゃめちゃ怒りそうだな…と心配していた。
結果的にはプールはなくて、忍者修行大会をしていたので杞憂だった。

金曜日、咳も落ち着いてきて、天気もよかったので、◯にしておいた。
迎えに行って、今日プール入れた?って聞いたら、トイレに行ってたら出遅れて、気づいたらみんないなくなっていて、仲のいい子もなぜか部屋に取り残されていたので、2人で遊んでいて楽しかった、ということだった。
プール入りたかったんじゃないの、と思うけど、楽しかったならまあいいかと思う。

誰もが毎日何でも話題を持ち込める一対一の時間を欲している説

仕事していると、考えた結果が発露されたり、書き記されていたり、決まった瞬間に価値はあり、考えただけでアウトプットされない、という情報には価値がないとされている。停滞せず、とりあえず進んでいくには?と考えていた。

何でも話題を持ち込める一対一の時間を持っていないとき

  • 思いついたことを会議に持ち込み→もうちょっとこの人と話したら?これも考えたら?など持ち帰りになる
  • 進めるか迷ってることは迷っているまま進まない

何でも話題を持ち込める一対一の時間を持っているとき

  • その場でなんでも見せておくと、少なくとも一人からのリアクションは得られているし、肯定的ならどんどん進もう、となる
  • 進めるか迷っていることに、正式なレビューを受ける前のフィードバックとして、いいじゃん、と言われたら進められる


持ち込んだ先の人数が多すぎると、順番にいろんな質問が来てその場では特に役に立たないようなコミュニケーションになってしまう恐れがある。いろんな反応を想定してから発言、となると、発言の敷居が上がってしまい、考えてることがアウトプットされなくなる。
また、一対一でも、持ち込んだときにビシビシ指摘されて萎縮してしまう、とか、想定外のご指導(指摘する側としては成長を願っている)が来る、みたいな場合もやっぱり発言の敷居が上がってしまい、考えてることがアウトプットされなくなる。
「じっくり考えてから発言しよう」というというのは成熟した大人の組織だと思うけど、なんでも発言できる環境とどちらが好きか、という論点で、個人的には後者のほうが好き、ということかもしれない。


先日、子が通っている保育園の先生が、私は子どもたちの思いは、なんでも受け止めたいと考えています、と話されていた。
感情的にならず、なんでも、まずは話を聞くし、やりたいことは可能な限り考えてあげる(たとえば保育園から一人出ていく、とかは叶えられない)、そういう余裕をもって保育に望みたいそう。
保育園の状態をそのまま仕事に持ち込むと、マネージャが全員と対話してマイクロマネジメントする、という形になりそうだけど、同じくらいのレベル感の人のペアで切磋琢磨してもらう、とか、得意不得意が逆な人(自信はあるけど能力が足りない人と自身があるけど能力がある人、とか、フロントエンド得意な人とサーバーサイドが得意な人、とか)をくっつけることで得意分野だけを発揮できる形を目指す、とか、上意下達ではなくて、協力を前提とするペアを組んでいって、自律したチームにしていくのがよいと思う。

ユーザーから送信されたテキストをロジカルに矯正するカスタムGPT

問題を深堀りして原因にたどり着く、とか、現状から何か気づきを得る、というのは必須な知識で、そういう動きをしてないと、なぜやらないのか?ちゃんと気づきを得ているか?みたいにつっこまれてしまうことがある。
これは文章が自然言語として成立している、という次に、論理的に破綻していない、というレベルがあって、次に、論理の進め方がセオリー通りである、という評価がなされていると思う。
ただし、セオリーに沿って書かれた文章だからといって、読んでただちに分かるわけではなく、セオリーに詳しい結果、セオリーに沿った文章を読むと、そのことが分かる、という形だと思う。
ポップミュージックのコード進行のセオリーはあるけど、ただ聞いてもわからず、コード進行を調べて、セオリーに沿っているかを分析する必要がある。
適当な文章を送るとセオリー通りに矯正してくれるAIが居たら、論理展開や視点などを多少は学べるのではないか、と思って、セオリー通りの問題分析のパターンに沿っているかをチェックしたり、添削したりしてくれるカスタムGPTを作ってみた。

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先日の、群馬に行きたいかどうか検討している日記を投げつけた場合の回答。
“状況の棚卸し”はかなりできているが、「なぜ行くか」「何を得たいか」の掘り下げが浅く、手段の比較検討も感情と費用に止まっており、判断軸が整理されていない、という指摘をしてくれる。
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子どもとの関わりがうまくってない、という日記を送った例。
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日記をロジカルに添削してくれる。

最近、子どもの行動が制御不能に感じられ、親である私たちの体調が著しく悪化してきている。風邪が長引き、夜は子どもがくっついてきて蹴ったり殴ったりするために、満足に眠れず、自律神経にも異常が出ているようだ。
育児書を読んで、子どもはまだ脳が発達途上で、集中力や記憶力に限界があることを知った。それを知れば納得もできるが、実際の現場では心がついてこない。たとえば、顔を蹴られてメガネが曲がった時など、ただ「未発達だから仕方ない」とは思えず、悲しさが勝ってしまう。
子どもが今のような行動をとる背景には、発達特性だけでなく、日常生活でのストレスや安心できる環境の不足もあるのかもしれない。一方で、私たち親側も、睡眠と心身の余裕が不足していることで、冷静な対応が難しくなっている。
これからは、理解を「知識」だけでなく「体験」や「感情」にも落とし込みながら、親自身が休息やサポートを受け取る設計もしていく必要があるのかもしれない。


雑な人事評価用のアピールを書いてみた場合。あらゆる角度からつっこみを入れてくれる。
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こんなふうに、決まったフォーマットで書き換えてくれるグッズを作っておくことで、あり得る別の表現についても考えることができるようになると思う。
なんでも神話化してくれる、寓話化してくれる、わかりやすいナラティブに変換してくれる、などいろいろ考えられそう。

子がけっこうでたらめなことを言っているような気がする。
保育園からの帰りの片道10分くらいの間に話を聞いているうちに、だんだん、リアルタイムに、話が盛られていく。

  • 今日、クラスの子に髪の毛を掴まれて嫌だった
  • 今日、クラスの子に髪の毛を掴まれたので、やめて、と言ったが、いやよ、と言われた
  • 今日、クラスの子に髪の毛を掴まれたし、他の子も掴まれていた
  • 今日、クラスの子は、クラス全員の髪の毛を同時に掴んで引っ張っていた
  • 今日、クラスの子 vs 残りのクラス全員で戦いになり、クラスの子は、血まみれ、全身の骨が折れて、ぐにゃぐにゃのクラゲのような状態になった
  • 今日、クラスの子は血まみれ、全身の骨が折れたが、帰る頃には骨はすべてもとに戻って、血も、にゅっと引っ込んで、体内に吸い込まれていった

べつに嘘だからよろしくない、みたいなことはなくて、おもしろいな、と思っている。嘘でもいいし、本当だったらそれでもいい。

るるぶを眺めていたら、近くに忍者村があるので行きたい、と子が言うので連れて行った。
忍者って伊賀と甲賀じゃないの?と思ってたらその通りで、べつにこのあたりが歴史的に忍者スポットというわけでもないらしい。
赤やピンクの忍者衣装を貸し出しながらも、「自らが忍者と気づかれてはならない」という掲示物も貼られていておもしろい。

忍者体験をして、近くの定食屋に行ったら、リサーチ不足で、忍野八海という湧き水の有名なスポットの一角で、ものすごい人だった。
気分的には、住宅地の中にいきなりクフ王のピラミッドがある、みたいな感じ。

16時くらいに山梨を出て、21時くらいに京都に帰ってきた。
妻は体調不良に苛まれており、体調悪いのに無理して出かけたのを後悔していて、すっかり落ち込んでおり、しばらく週末の予定も全部キャンセルしたい、と話していた。

子の行動が自由すぎるというか、制御不能で、お世話していると疲労感があり、親二人の体調が悪くなっている。
風邪を引いたら全然治らない、夜もくっついてきて殴る蹴るされるのであまり眠れない、自律神経がだんだん変になってきているのか、急に汗をかいたりする。

初心に帰って何歳くらいの子どもが何を考えているかわかる本を読んだ。
何歳ごろの子どもは何個の情報を覚えていられるか、とか、何分間覚えていられるか、といった話が載っていて、それを読むと、たしかにできることは少ないんだし、こんなもんだろう、と思った。
スーパーでは、にんじんを探してもらうとか、お願い事をすると楽しんでくれる、といったテクニックを学べる。

脳がまだ十分に発達していないために集中力がないからで、反抗しているのではありません。

脳が未発達だから、という説明で、書物の上では納得はできるけど、現実は厳しいという感じもあって、メガネをかけてる顔にキックされてしまい、鼻あてが曲がって悲しい。