保育園の帰りによく行ってた飲食店に、いつものように子と二人で行こうとしたら、小学生未満は入店不可になっていて、テイクアウトなら対応できるんですが…と、追い返されてしまった。
食べたあと、隣の銭湯に行くというルーティンだったので、テイクアウトにすると計画が破綻してしまう。
立地関係的に、保育園の帰りに子と行く、以外の訪問パターンはなさそうで、小学校に上がったら違う地域だし、帰りに行くとは考えにくい。
こうして人生最後の訪問が訪れるのか、と思うとちょっと悲しい。
すべてのことには終わりがあるので、できるうちになんでもやっておこう、というのを、DIE WITH ZEROで読んで、実践している。
あ、あのとき食べたチャーハンが、あの店のチャーハンとしては人生最後で、鯉のいる銭湯ももう行かないんだろうな、と急にさみしくなってきている。
哲学の先生と人生の話をしよう
國分功一郎先生に人生相談する、というメールマガジンを本にしたもの。
解説にも書かれていたけど、本文中に書かれてないことを読み取る、という手法で、短い文章から、多くの情報を引き出されていておもしろい。
途中で気がついたのだが、人生相談においてはとりわけ、 言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない。
質問を送ってくる人も、こういうメールマガジンにたどり着いている時点で理性がある感じもするし、変なことになっている感じも受ける。
一番ウケた質問文はここ。
去年の年末には、突然夫が二重まぶたの整形手術をして帰ってきました。
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子がいつのまにか、ひらがなをだいたい読めるようになってた。
順番に指差して聞いてみると、これは?な…これは?に…これは?ぬ…これは?ね…これは?き…
みたいな成功率。
なにぬねの、って言ってみな、口の形がだいたい同じでしょ、とか説明しているけど、あまり通じてない。
ちゃんと教えてなくて、りんごのりはどれ?とかそういうクイズを出してただけだったので、習得できていて不思議。
保育園では字の勉強の時間とかそういうのはないと思う。
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仕事してて、最近よく口にしているのが、これって他の言語ではどうやるんですか、とか、何を参考にして考えたんですか、みたいなこと。
何の文脈もなく、全く新しい発明をすることってまず無くて、かならず何か真似しているにちがいない。
残念なことに、根拠はないけど、数式が頭の中に浮かんできて、止められないんです、みたいなスタイルの人にはあまり出会わない。
どこから来た考えなのか意識して喋るようにしておくと、考えるときのフレームとして便利なんじゃないかと思う。
個人的には、AにおけるBはCなんだから、A'におけるBはC'にちがいない、みたいな、類推だけで、大半の物事を処理している。
東京タワーをフランス語にするとエッフェル塔になると信じている。それくらい、なんでも類推で処理できる、とみなして処理する。
困るのが、何でも類推でやっていると、やり方を変えないといけない、となったときに、頼れるものがないということ。急に論理的に考えて決める必要が出てくる。
いまの状況にふさわしいのはこっち、とか、より上位の目標と適合しているのはこっち、とか。
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ルンバのくるくるまわるブラシが全部折れて、1月に交換したのだけど、今日また全部折れてたので、取り替えた。9ヶ月で3本折れる。3ヶ月で1個折れる。
いまルンバを買い替えようとすると、巨大ゴミステーション搭載機器になってしまい、15万円くらいすると思うので、本当に掃除できなくなるまで使い続けようと思っている。
blog.sushi.money
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朝食の買い出しを怠っており何も無いので、パンを買って、紅葉を見に行くことにした。
前情報のとおり、そんなに紅葉していないし、蚊がまだ飛び回っている。
カメラを持ち歩いていたけど、何かの拍子にISOが6400で固定になっていた。
つまり、発色は最低で、ザリザリしたノイズが乗っている、ということ。
この鳥をブレずに撮れたのだけがよかった。
ISOを上げていったら発色が悪くなっていって、レトロな写真になる、という構造がありそう。