hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

椅子

趣味らしい趣味が、散歩中に公園に行って椅子を出して休憩することくらいになっている。

椅子はこれ買ってみた。散歩中にコーヒーを買って公園に寄ってこれを組み立てて、というのを、子の様子を見ながら抱っこしたりベビーカーに乗せたりを繰り返しつつ、すみやかにおこなうのは至難の業。どうやっても両手が必要になる上に、棒が硬いのも苦労ポイントで、椅子の組み立てに数分かかる。
おすすめの椅子情報あったらください。


いま気になってるのはこれ。
www.youtube.com
item.rakuten.co.jp

共産党宣言

共産党宣言は1848年に記された伝説の宣言。99%のためのフェミニズム宣言からの流れで読んでみた。
歴史あるで、序文が延々と続いて笑ってしまう。

ドイツ語版への序文
 一八七二年(マルクス・エンゲルス)
 一八八三年(エンゲルス)
 一八九〇年(エンゲルス)―― 一八八二年ロシア語版への序文(マルクス・エンゲルス)を含む
英語版への序文(一八八八年 エンゲルス)
ポーランド語版への序文(一八九二年 エンゲルス)
イタリー語版への序文(一八九三年 エンゲルス)

マルクス エンゲルス 共産党宣言 - 岩波書店


共産主義というと、京大の寮に立てこもって警官とバトルしたり、鴨川でパン食い競走をして警官がやってきたりする、というイメージしかなかった。なんでそんなことするのか、とあまり理解できていなかったけど、ブルジョアの支配する社会を破壊するための活動をおこなっている、というのが根底にあるのだと思うと、そういうものか、とわかってきた気がする。しんぶん赤旗はネットを見てるとよく見かける。

現代社会の最下層であるプロレタリア階級が起きあがり、立ちあがることができるためには、公的社会を形成する諸層の全上部構造を空中にけし飛ばさねばならない。


財産を没収するというと諸君は驚くけど、諸君は財産持ってないでしょ、皆が持ってないから財産として成立するのであるよ、というのがおもしろかった。今読んでも、はっとするような言説が多くて、有名な文章にはいいことが書いてあるんだなあと思う。

諸君は、われわれが私有財産を廃止しようと欲することにおどろく。ところが、諸君の現存社会では、私有財産は社会成員の十分の九にとっては廃止されているのだ。それは、十分の九の人にとって存在しないというまさにそのことによって、存在しているのだ。


本を読んでいくときは息をするように読むのが大事で、そのメタファーを適用すると、読んでるときが吸っているときで、読み終わったら簡単にでも感想でも書いて、参考文献から一冊選ぶか、その本を読んで気になったことを知るための本を一冊選ぶ、という、吐くタイミングがあって、そして次の本を吸いに行く、というサイクルができると楽しく読める。
そのサイクルが切れて、自分と関連のなさそうな本を読んでしまうと、いま自分は何を知りたくて本を読んでいるのかわからなくなってなかなか読書が続かなくなったりする。
美容院で全く関心ない雑誌を渡されて読んでいるときや、日曜の午後3時くらいにテレビでどのチャンネルを見ても全く心惹かれるものがない状態をイメージすると、おもしろくないことがイメージできると思う。


99%のためのフェミニズム宣言

よく、ガラスの天井を破るという話があるけど、女性が能力主義の社会に進出したところで、家事や子育てなどは安価に別の女性に外注されることになる。そして安価に働く女性は故郷を離れ、本来の家族との暮らしを失っている。
このように、資本主義や能力主義には女性への搾取が組み込まれている、だから私たちは反資本主義でやっていくぞ、という本。
朝の公園で子を抱っこしたりベビーカーに乗っけたりしながら読んでいたので子育て本として読んでいた。



この本では、人を育てて社会を維持する仕事を社会的再生産と呼んでいて、資本主義では、社会的再生産が利潤を生むための生産を切り離され、女性や立場の弱い人達に押し付けられている。
自分はこれまでは、そこそこいい給料をもらってのうのうと生きていて、寝る前に一番心配な悩みは仕事のことで起きたら仕事の悩みが再開する、というくらい仕事大好きだったけど、子が生まれたので、当分は元の働き方には戻れない。
身の回りでは、男女ともに時短で送り迎えに出かけるパターンと、男性がフルタイムで働き、女性は時短やパートなど、という事例をちらほら見るものの、逆の事例はあまり見ない。
資本主義の社会で普通に暮らしていると、仕事しまくって成果を出して給料を上げていき、家を買い、とお金だけどんどんかかる構造になっているけど、うちもそうなる予定で、うまくバランスさせる能力が自分にあるとは思えないので、復帰後に子育て時間は減ってしまうと思う。一方で、寝てる間に考えてきて良いことを思いつくような働きもできなくなるだろうから、以前のような給料の上がり方はできないだろうと思っている。
育休中に子の様子を見ていると、それだけで一日が終わって、はあ、家にあと一人居ればなんとかなるのに…知り合いの学生とかが家で家事してくれる代わりにビールを飲み放題にするのはどうか…と思うことがたびたびあった。
給与収入の一部からベビーシッターを雇ったところで、ベビーシッターはベビーシッター代をどうやって捻出するのか、という再帰的な話で、この構造では末端ではどんどん貧しくなっていく。やはり資本主義が限界に達しているということなのだろう。


共産主義宣言が紹介されていたので続けて読んでみようと思う。

冒頭部分がちょっと公開されていた。
note.com

関係ありそう。
ja.wikipedia.org

にほんごであそぶonkさんの夢

夢、テレビを見てたら、onkさんが教育番組の講師としてレギュラー出演していて、言葉の成り立ちに関する歌や踊りを披露される。
色とりどりの衣装に身を包むわけでもなく、いつものRubyKaigiのTシャツにスニーカーでスタジオに登場されていた。
プログラミング好きな人物を増やすには、まずは子供に向けて、そして国語教育をしっかりしなければいけないのだなあ、と感心した。

考察

実際のところ収録にどれくらい時間がかかるのか気になる。毎日10分の番組に出演しながら、フルタイムの仕事と共存できるものだろうか。

ある神経病者の回想録

たぐいまれなる雰囲気の本で、著者は裁判官で、膨大な量の法律に関する知識を持っていて、そこそこ地位もあったのだけど、現在は神からの光線(奇蹟)によって女体化していて、一日中休むことなく官能的快楽に見舞われていて、言葉を話す鳥や虫たちに囲まれ、周りの人物たちは頭部を交換し、ピアノを弾いていると尋常でない勢いで弦がちぎれてしまうので困っています、ということが600ページにわたって書かれている。
以前ぱらぱら眺めて、これはすごい本だ…って閉じていたけど、時間もあることだしちゃんと読もうと再び読み返したらおもしろかった。
なぜこれが出版されたか、ということとか、こういう症状になってしまって、その後、この本の流れとしてはどこに着地してしまうのか、ということとか、気になりながら読んでいたけど、だんだん伏線が回収されていって、最終的には、家族の愛のストーリーという感じで、意外と爽やかな読後感だった。

私の頭部は、厖大な光線の激しい流入の結果、ちょうどキリストなどの後光が肖像に描かれるように、非常に頻繁に微光に包まれたが、しかし比較できないほど豊かで輝くものであった。言わば「光線冠」である。

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今日も死ぬほど散歩した。まず一時間かけて公園まで歩いて行く。公園に来たからと言って遊具で遊べるわけでもないので直ちに帰る。体力が尽きたのでバスで帰った。
昼ごはんを食べて、パンを買いに行く。途中で子が泣きまくったのでパンは買わずに諦めて引き返した。
夕方に帰って、米や風呂の予約をして再び出発する。車に乗せてみて渡月橋のパトロールをした。夕方ごろの嵐山はほぼ無人だった。
桂川沿いはちょっと広々している、とかは分かるけど、ちょっとドライブと言ってもどこに行けば見晴らしがいいのか全然分からない。
家の機械式駐車場のコツがわかってきて、これまで車をなるべく寄せてからシャッターを上げてたけど、そうではなくて、なるべく離した段階でシャッターを上げてしまうのが良いことが分かった。離れてるとサイドミラーから左右の余白が均等か見ながら近づいていける。これが最初から寄っていると調整が難しい。とくに左右の距離は合ってるけど侵入角が変なときのリカバリをするには一度前進して切り戻すことになって面倒だったり。