hitode909の日記

以前はプログラミング日記でしたが、今は子育て日記です

テスト、正常系から書くか異常系から書くか

今週は同僚と毎日長時間ペアプロしていた。
おもしろかったのが、同僚のテストの書き進め方で、一番複雑な正常系のテストをちゃんと書いてから、その複雑なテストをもとに、いろんな条件を削っていって異常系のテストを作っていく、というところ。
僕は逆で、入力が空なら何も起きない、とか、一番簡単な異常系のテストを書いて、そこだけ通るのを確認して、よしよし、と進めていって、メソッド本来の動きは最後に確認して終わる。
変な進め方だな〜(主観)と思って眺めていたけど、たしかに正常系のテストが通っていれば、あとはバリデーションまわりのチェックとか、例外となる場合のチェックをすれば終わりで、異常系のテストがすごい速さで書かれていておもしろかった。

…という話をしたら、チームメンバーたちは正常系のテストから書きはじめるという人が多くて、正しくことを確認してから、1個ずつ前提となる条件を外してみて試す、と聞いて、同値分割だ!!と思った。
テストを先に書いてから実装を書くか、先に書いた実装のテストをあとから書いているか、という場合でも違いが出てきそう。

専門知は、もういらないのか

世界は今、反知性の時代!!!と思ったので読んでみた。

事実より感情が優先されている、というのはたしかに、と思っていて、感情を盾にするとどんな要求でも通すことができてしまう。批判的思考を徹底しましょう、とか言っても、批判的思考ってなんですか、となったり。
SNSなど見ていても、気に入らない意見はミュートできてしまう。危険なストーカーをブロックするのと、意見が違う人をブロックする、というのは意味合いが全然違うので気をつけたほうがよさそう。見たくないから見ない、としていると、見たいものだけに囲まれてしまう。全人類が正しい情報の取捨選択をするのはけっこう難しそうなわりにSNSは永久に見てられるので危険だな、と思う。

本とか読んでいても、反知性の時代だな〜と思ってこういう本を選んでいるけど、意見が違う人からすると、トランプ大統領の登場によって真の民主主義が訪れた、という主張の本を選んでいそう。

専門知は、もういらないのか

専門知は、もういらないのか

読みながら、地球平面説を信じる人たちのドキュメンタリーのことを思いだした。この人たちはがんばっていて、地球が平面であることを実験によって確認しようとしている。
www.netflix.com

週末ごろから、洗濯機が必ず排水できないようになって、ビショビショの洗濯物を風呂場に投げ込み、あとのことはもう知らない…となっていた。
修理の人に来てもらったら修理は10分位で終わっていて、ドラムの隙間煮物が入り込むとホースが詰まってしまうとのことだった。今後は小物はネットに入れるようにしたい。
洗濯物がたまっていくのはまあ耐えられる(ミニマリストなら2日くらいで耐えられなさそう)けど、洗濯機を使えないという事実や、ミーティングの最中に洗濯機の修理がやってくる、というハチャメチャ感によって参ってしまっていた。

ボールにいっぱいのシャインマスカットが食いてえ

メルカリで売上残高がそこそこあるのと、500円もらえるクーポンの期限が切れそうだったので、なんか買ってみたい、しかし欲しい物も特にない、というところで、生産された果物を直接買えればよさそうと思ったのでシャインマスカットを買ってみた。宅急便コンパクトの薄っぺらい箱にぎっしり詰まって届いておもしろかった。
近所のスーパーで買うより安くておいしく満足した。ボウルにいっぱいのシャインマスカットを食べるという夢がついにかなった。
しかし八百屋が事前に選んでくれたりブランドのバッジが付いていたりしないので、信頼できそうなアカウントを探して直接やりとりすることになる、とか買う前に現物を見れない、など難易度は高いと思う。